1869年3月11日、博物学に長けたフランス人宣教師のアルマン・ダヴィドが、現在の中華人民共和国四川省西部宝興県にて地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮を欧米人として初めて発見した。後日、パリの国立自然史博物館に毛皮と骨などを送った[10][11][12][13][14]。これがきっかけとなってジャイアントパンダの存在が知られるようになり、毛皮目当てに狩猟ブームになった。20世紀になると絶滅の危機を迎えていた。探検家のウィリアム・ハークネスが生体をアメリカに連れて帰ろうとしたが、病で死んだ。その後、妻のルース・ハークネスが、1936年11月にジャイアントパンダの幼獣を見つけて自国に連れ帰った。その剥製がアメリカ自然史博物館に保管されている。
クマ科に似ているが、アライグマ科に近い特徴も持つ。そのためクマ科に属するか、アライグマ科に属するか、独立したパンダ科(もしくは、ジャイアントパンダ科)に属するかの論争が長年繰り広げられていたが、古生物学、形態学、分子系統学的研究の結果、近年ではクマ科に分類される[15][16]。一方、レッサーパンダは独立したレッサーパンダ科に分類された。